2010/4/6・2012/4/9
大阪城は、太閤さんの城とも呼ばれるように豊臣秀吉のイメージが強いが、現存している石垣や、櫓は大阪夏の陣後に、江戸時代に徳川幕府が再建したものとされています。豊臣時代の石垣上に土を盛り、縄張りも変更した上で各種の建物が建てられて現在の姿となっています。それでも、姫路城、熊本城と共に日本三名城に数えられ、その規模は日本有数です。
城の周囲には、各所に桜が植えられており、総て回るのは結構大変です。当然、桜の名所100選にも選ばれています。
まずは、大手門側 西の丸庭園と、城南地区から回るのがお勧めです。
大手門を守る千貫櫓。 秀吉の大阪城の前身となった石山本願寺に有った櫓が難攻不落であり、千貫の価値が有るとされたことにちなんでいます。城内には、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形など、江戸時代に立てられた建築物が残っています。
南外堀と一番櫓。石垣の高さ、堀の幅共に難攻不落の威容を誇ります。ゴミが堀に落ちて浮いているのが残念です。ゴミは各自管理しましょう。
南外堀の対岸 城南地区。多くの桜が植えられています。
城南地区は人気のスポットで午前中から場所取りが始まります。地面が青く染まります。
西の丸庭園から見た天守閣。天守閣は大阪夏の陣で焼失。江戸時代に再建されましたが、 落雷によって再び焼失。その後、現在の復興天守が建てられまで長い期間存在しませんでした。1931年に再建された天守ですら建築後80年を越え、登録有形文化財に指定されています。
1945年8月14日の空襲では1t爆弾が多数投下され、天守石垣にもずれが生じました。大阪城は、太平洋戦争中の空襲で、二番櫓・三番櫓・坤櫓・伏見櫓・京橋口多聞櫓を失いました。
天守閣北側。搦手に当たる北側は屈曲した通路が続き、南側とは違った表情を楽しめます。
山里丸の豊臣秀頼、淀殿 自刃の地。天守北側 一段下の曲輪。
京橋口から極楽橋付近の北側は、比較的人が少なくのんびりお花見を楽しめます。
西の丸庭園の芝生。ボールを使った遊びやバドミントンは、基本的には控えるように放送されていました。西の丸庭園は、有料のエリアですので比較的空いています。
西の丸公園 堀沿いの桜並木。
大阪城と言えば、枡形の巨石も有名100トンと超えると言われる。
南外堀付近のパノラマ写真(クリックすると大きな画像が開きます)
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