2009/4/7・9
明治2(1869)年に首都が京都から東京へ移ったため、京都は人口が減少し、経済も大きな打撃をうけました。そのため、第3代京都府知事 北垣国道は水利、と水運を目的とした運河を計画します。これが琵琶湖疎水で、主任技術者としては、当時大学を卒業したばかりの田辺朔朗が当たることになりました。1890年には第1疏水、1912年には第2疏水が難工事の末完成しました。疎水の水を利用して水力発電も行われ、京都では、日本初の電車が運転されました。
疎水はもともと標高差のある琵琶湖と京都を結んでいるため、水運で船を運航するためには、標高差をカバーするための施設が必要です。普通は、このような用途には、水門によって、水面の高さを調整して対処しますが、蹴上で発電された電力を利用した、ケーブルカーに船を載せて、斜面を上げ下げしていました。現在では、疎水が水運に利用されていませんので、インクラインは可動していません。一説には、インクラインを採用してしまったために使用できる船のサイズに制約が出来てしまい、疎水の水運の衰退を早めたとも言われていますが、電気で斜面を船が動く姿に、当時の人は驚いた事でしょう。インクラインは、他に伏見にもありました。
疎水は琵琶湖と京都を結ぶ運河ですが、琵琶湖と京都の間には、山があるので、ところどころをトンネルで通しています。小関越えと呼ばれる昔からの街道の脇には、トンネル建設と通風のために山上から垂直に掘られた竪坑(深さ47m)も残る。
ネジリマンボの内部はレンガが螺旋状に積まれていて特徴的です。マンポとは、線路などの下をくぐるトンネルのこと。上を通るインクラインとトンネルが直角に交わっていないため、強度を保つために、ねじれてレンガが積まれています。
以前に見た映像では、インクライン舟溜まりにはもう少し奥まで水が引き込まれていて、台車からそのまま水面に下ろせたようです。
岡崎桜回廊十石舟めぐりの遊覧船も運航されています。この日は桜が咲いていて天気も良かったので、2時間30分待ちと看板に書かれていました。詳細は、こちらまで
十石舟と平安神宮鳥居。疎水周辺には、平安神宮、京都市立美術館、国立近代美術館、動物園など、観光スポットが集中しています。
動物園から、国立近代美術館付近の桜はライトアップされます。人も少なく落ち着いて夜桜を楽しめます。
サスペンス劇場でおなじみの水路閣と南禅寺山門。水路閣は蹴上から分かれる疎水分線の水を通すために建設されました。銀閣寺の前を通る哲学の道を流れる疎水はこの疎水分線です。水路閣は南禅寺の境内にあり、インクラインからは、歩いていけます。
水路閣からトンネルへ(写真右) 白川(写真左)疎水は、ところどころトンネルを通っていますが水路閣を抜けた疎水も一旦トンネルへ入ってしまいます。写真右は、疎水から分かれる白川。
インクライン付近
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大津三井寺付近
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